金魚の話を、
したいと思った事なんてなかったんだよね。
きっと。
一言でいえば煩わしい存在であったわけです。
ある春の日に。
娘が桜祭りで3匹の金魚を持ち帰ってきまして。
ノリで水槽買いまして。
金魚がでかくなりました。
水槽でかいの買いまして。
金魚が更にでかくなりました。
何年かして1番小さい金魚が死にました。
水槽が汚れてくるとイライラして、
見ないふりの家族にイライラして、
『気が向いたらエサをあげるスタイル』にイライラして、
去年水槽を小さいのに買い替えました。
砂利も飾りもなくしました。
大きい金魚に向かって『狭そう』とか誰にも言わせません。
だってみんな見て見ぬふりじゃん?
今年に入って、水槽の環境がどんどん悪化していきました。
金魚が死にそうになりました。
でも死にませんでした。
生まれて初めて金魚の介護をしました。
死にそうになって初めて金魚の飼い方を調べたように思います。
色々分かってしまった分、余計に面倒な事になったのです。
やるべき事を知ってしまった分、やらない=命を捨てるということになります。
私の中で我が家の金魚の飼い主は、娘と主人です。
まず、連れて帰って来た娘。
生き物を飼いたい主人。
この2人がもっとちゃんと金魚と向きあってくれたなら、
私は綺麗な水ですいすい泳ぐ金魚に愛情が芽生えたかもしれない。
でも2人が適当だから任せられない訳です。
カルキや水温や水質の事、エアレーション、エサ、バクテリア、病気、
色々あるんです。
知らないから、『触らないで』となります。
私だって、初めから知っていた訳じゃないし、本当は、もっと知らなければいけないこと、やらなければいけないこと、あるんです。
今はね、調べたらすぐ情報も知恵も出てくる。
けれどそれが大量過ぎて、選別に物凄いエネルギーを使うから、それが本当に苦手。
でもそれが命に関わる事だから、エネルギー使うしかないです。
エネルギーを使わないで、生き物を飼おうとする娘と主人。
この2人は本当に悪いですよ。
悪党ですよ。
可愛いだけで、飼ってますから。
金魚瀕死事件をきっかけに、私が本腰で金魚を世話し始めたのを『なんだかんだで可愛がってるね』とか思ってるんだとしたら、それは間違い。
娘はよく、
『ママが(世話を)やらせてくれない』と、いいます。
確かに。
だってやり方分からないでしょ?
私が教えてやってみたとして、失敗したら私の責任でしょ?
そもそも教えるのも面倒くさい訳です。
だ・か・ら。
飼いたくないの、生き物。
言ってるじゃん。
いつもいつも。
老後に犬とか絶対飼わないからな。ふざけやがって。
でも、適当に飼い続けた我が家の金魚が立派(かどうかは知らないけど)に育って、何年も長生きしている事実。
マニュアル通りじゃなくてもオッケー、説明書?読みません!
な主人の生き方が見事に反映されていて、なんだかな!なんなんだ!という思い。
とはいえ、自分のスタイルも変えられない私。
失敗おめでとう!なんつーめちゃくちゃ良い言葉があるけど、
失敗できない事もあるんよ。
だからそこに足を突っ込まないようにしてるのに。
そんな私をさ、
さよならバイスタンダーが助けてくれたんよ。
だから、大きい水槽、バイト代で息子に買ってもらうんだ。
水槽の立ち上げもちゃんとやる。
買ったその日に引っ越しできるって思ってる主人にはさわらせない。
本当は、飼い主2人にやらせたいけど、
あの人たち、
私が金魚の世話について話だすとサーっとひいてく空気だすねん。
細かっ。って顔するねん。
ふざけやがって。
そんな我が家の金魚。
名前もないからね。
でかいし。
あんまり赤くない。
ビジュアル的に可愛いくはない。
なんで家なんかに来ちゃったのよ、等と話しかけながらエサをあげる毎日。
明るく語るつもりが、意外に陰険な感じになってしまった。
まばたき聴いて掃除しよう。
あとエサね。